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ピラティスの歴史|ジョセフ・ピラティスの生涯から世界的ブームまで

明るいスタジオでリフォーマーを使ってピラティスをする女性の実写写真

この記事の結論
ピラティスは、1883年にドイツで生まれたジョセフ・ピラティスが考案したエクササイズです。病弱だった少年時代を運動で乗り越えた経験と、第一次世界大戦中に収容所で人々の体づくりを指導した経験が原点となり、1926年の渡米後、ニューヨークのスタジオでダンサーを中心に広まりました。2000年に米国の裁判で「ピラティス」が一般名称と認められたことをきっかけに、世界中に普及しました。この記事では、その歩みを年表とともにたどります。


ピラティスの歴史年表

まずは、ピラティスの歩みを年表で確認しましょう。

ここからは、それぞれの時代をくわしく見ていきます。

病弱な少年時代:健康は自分でつくるもの

19世紀末のドイツの街並みで体操に励む少年のイラスト
※画像はイメージです

ピラティスという名前は、考案者であるジョセフ・フーベルトゥス・ピラティス(Joseph Hubertus Pilates)の姓に由来しています。ジョセフは1883年、ドイツ西部のメンヒェングラートバッハで生まれました。デュッセルドルフの近郊にあたる地域です。

ジョセフは子どもの頃、喘息、くる病(骨が正常に発達しにくくなる病気)、リウマチ熱など、さまざまな病気に悩まされていたと伝えられています。

しかし彼は、病弱な体を受け入れるのではなく、運動によって乗り越えようとしました。体操、ボディビル、スキー、ダイビングなど、さまざまな運動に打ち込み、東洋と西洋の運動法や考え方も幅広く学んだといいます。健康は何もせずに与えられるものではなく、自分でつくり上げていくもの。この考え方が、のちのピラティスの土台になりました。

その成果は目覚ましく、10代の頃には解剖図のモデルを務めるほど鍛え上げられた体になっていたという逸話が残っています。

イギリスでの生活と第一次世界大戦

ボクサー、パフォーマーとして

1912年頃、ジョセフはイギリスに渡ります(1913年とする資料もあります)。イギリスでは、プロボクサー、サーカスのパフォーマー、そして護身術の指導者などとして、体を使う仕事に就いていたとされています。

敵国人として収容される

1914年に第一次世界大戦が始まると、イギリスに住んでいたドイツ人は「敵国人」として収容されることになりました。ジョセフも例外ではなく、のちにイングランド西方の沖合に浮かぶマン島の収容所に送られます。

旧来の記事では「マン島で看護師として働いていた」と説明していましたが、実際には、ジョセフは収容者の一人としてマン島に送られていました。

収容所での運動指導

ばねを取り付けたベッドの上で寝たまま運動する人のイラスト
※画像はイメージです

厳しい環境の中でも、ジョセフは体づくりをあきらめませんでした。収容所では、彼は収容者たちの日々の運動を指導する役割を担った一人だったとされています。限られたスペースでもできる運動を考え、周囲の人々に教えていたのです。

この時期については、有名な逸話があります。病気や怪我で寝たきりになった人々のために、ジョセフがベッドにばねを取り付け、寝たままでも抵抗をかけて運動できるようにした、というものです。これが、現在のマシンピラティスで使われる「リフォーマー」や「キャデラック」の原型になったと言われています。

当時はリハビリテーションの考え方や専用の器具が今ほど整っていなかった時代です。寝たまま、あるいは体に大きな負担をかけずに筋肉を動かせる運動を工夫したことは、ピラティスが「健康な人にも、体が不自由な人にも負担をかけずに行える運動」として発展していく原点となりました。

ドイツへの帰国と渡米

戦後のドイツで

戦争が終わると、ジョセフは1919年にドイツへ戻りました。ハンブルクやベルリンで、医療の専門家から学びながら、運動と体の調整についての考えをまとめていったとされています。この頃、彼の方法はダンスの世界でも知られるようになっていきました。

1926年、ニューヨークへ

1926年、ジョセフはアメリカへ移住し、ニューヨークにスタジオを開きます。のちに妻となるクララとは、渡米の際に出会ったとされ、二人はともにスタジオで指導にあたりました。【要確認:クララとの出会いの時期と経緯は資料によって異なるため、掲載前に出典を確認】

旧来の記事では「1925年にクララと出会い、翌年アメリカに移った」と説明していましたが、渡米は1926年とする資料が一般的です。

「コントロロジー」とダンサーたちの支持

ジョセフが名づけた「コントロロジー」

ジョセフ自身は、自分のメソッドを「ピラティス」ではなく「コントロロジー(Contrology)」と呼んでいました。体を意識的にコントロールする学問、という意味を込めた言葉です。彼は、特定の筋肉だけを鍛えるのではなく、全身を協調させて動かすことこそが健康につながると考えていました。また、コントロロジーを単なる運動の集まりではなく、生き方そのものとして捉えていたとされています。

ジョセフは運動生理学をはじめ、ヨガ、ダンス、武道など、幅広い分野から学び、それらの要素を自分のメソッドに取り入れていきました。その考え方は、著書『Your Health』(1934年)や『Return to Life Through Contrology』(1945年)にまとめられています。

ダンス界の第一人者たちが支持

ニューヨークのスタジオには、ダンサーをはじめ、芸術家や著名人も通うようになりました。モダンダンスの第一人者として知られるマーサ・グラハムや、ニューヨーク・シティ・バレエ団の創設に関わった振付家ジョージ・バランシンも、ピラティスを支持した人物として知られています。

怪我をしにくく、しなやかに動ける体をつくるピラティスは、体が資本のダンサーたちにとって欠かせない調整法となっていきました。ピラティスがダンサーのための調整法として発展してきたと言われるのは、このためです。

ジョセフの死と弟子たちによる継承

1967年、ジョセフ・ピラティスはニューヨークで亡くなりました。83歳でした。

ジョセフの死後、ピラティスは彼から直接学んだ弟子たちによって受け継がれていきます。ロマーナ・クリザノフスカ、ロン・フレッチャー、イヴ・ジェントリー、キャシー・グラントといった指導者たちは、それぞれのスタイルでピラティスを教え、新たな指導者を育てていきました。彼らのように創始者から直接学んだ第一世代の指導者は、「エルダー」と呼ばれることもあります。

弟子たちがそれぞれの解釈を加えたことで、ピラティスは一つの形にとどまらず、多様に発展していきました。

商標裁判と世界への普及

「ピラティス」の名前をめぐる争い

1990年代、ピラティスの歴史を大きく左右する出来事が起こります。ニューヨークでジョセフのスタジオを引き継いだ事業を所有していたショーン・ギャラガーが、「ピラティス」の商標を取得し、その名称を使う指導者や事業者に対して法的措置を取るようになったのです。

この争いは、ピラティス用の器具メーカーであるバランスドボディ社(旧カレント・コンセプツ社)との裁判に発展しました。

2000年、「ピラティス」は一般名称に

2000年10月、ニューヨークの連邦地方裁判所は、「ピラティス」はヨガや空手と同じように運動の方法を表す一般名称であり、商標として保護されるものではないと判断しました。これにより、誰でも「ピラティス」という名前を自由に使えるようになったのです。

旧来の記事では「1990年ごろに商標登録され、その後取り消しの判決があった」とまとめていましたが、判決が出たのは2000年です。

この判決は、ピラティスが世界中に広がる大きなきっかけとなりました。名称を自由に使えるようになったことで、多くのスタジオや養成機関が生まれ、ピラティスは一部の人のための特別な運動から、誰もが取り組める運動へと変わっていきました。

多様な流派の誕生

ピラティスの普及とともに、さまざまな団体や流派が生まれました。ジョセフの教えをできるだけ忠実に受け継ぐ「クラシカル」に対し、現代の解剖学や運動学を取り入れて発展させた「コンテンポラリー」と呼ばれる流れがあります。カナダで1987年に設立されたSTOTT PILATESをはじめ、BASI、PHIなど、指導者を養成する団体が各国で活動しています。

日本でのピラティスの広がり

マシンピラティススタジオでインストラクターの指導を受ける日本人女性たちの実写写真
※画像はイメージです

日本でも、ピラティスは段階的に広まってきました。1990年代には日本人がピラティスの資格を取得し、指導を始める動きが見られるようになります。【要確認:旧記事では「1995年に高田遵湖氏(元聖心女子大学教授)が日本人で初めて資格を取得」としていたが、一次情報を確認できなかったため、掲載する場合は出典を確認】

2000年代に入ると、海外での流行を受けて、日本でもフィットネスクラブやカルチャースクールでピラティスのレッスンが増えていきました。

さらに近年は、リフォーマーなどの専用マシンを使ったマシンピラティスのスタジオが都市部を中心に増え、ピラティスは再び大きな注目を集めています。【要更新:国内スタジオ数や市場規模など、近年の普及状況を示す最新データを入れる場合は出典を確認】

歴史から分かるピラティスの本質

ピラティスの歴史をたどると、この運動の本質が見えてきます。

  1. 病弱な体を乗り越えるための方法として生まれた: ピラティスは、もともと体の弱い人が健康を取り戻すための方法として発展してきました。だからこそ、運動が苦手な人でも始めやすいのです。
  2. 体に負担をかけない工夫から器具が生まれた: 寝たままでも運動できるように工夫された器具は、現在のマシンピラティスに受け継がれています。
  3. ダンサーに支持され、しなやかな体づくりの方法として磨かれた: 筋肉を大きくするより、しなやかに動ける体を目指すという特徴は、ダンサーたちとの関わりの中で育まれました。
  4. 一般名称となり、誰もが取り組める運動になった: 2000年の判決をきっかけに、ピラティスは世界中の人に開かれた運動になりました。

100年以上前に一人の人物が考えたメソッドが、形を変えながら今も多くの人に実践されているのは、その考え方が時代を超えて通用するものだからでしょう。

まとめ:ピラティスは「健康を自分でつくる」ための運動

ピラティスは、病弱な少年時代を運動で乗り越えたジョセフ・ピラティスが、収容所での指導経験やダンサーとの関わりを通じて築き上げたメソッドです。創始者の死後も弟子たちに受け継がれ、2000年に一般名称と認められたことで、世界中に広がりました。

「健康は自分でつくるもの」というジョセフの考え方は、今もピラティスの根底に流れています。歴史を知ると、日々のエクササイズにも新しい意味が感じられるはずです。

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